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弁護士紹介

教授 / 弁護士Professor / Attorney

玉井 克哉TAMAI Katsuya

03-5218-5260 tel
03-5218-5263 fax
tamai.katsuya@mktlaw.jp

第一東京弁護士会
Dai-ichi Tokyo Bar Association

  • profile
  • interview

学歴・職歴

1983年
東京大学法学部卒業
1983年
東京大学法学部助手(行政法)
1986年
学習院大学法学部講師(行政法)
1988年
学習院大学法学部助教授(行政法)
1990年
東京大学法学部助教授(行政法・知的財産法)
1995年
東京大学先端科学技術研究センター助教授
1997年
東京大学先端科学技術研究センター教授(知的財産法)
2008-2013年
慶應義塾大学特別招聘教授
2016年
信州大学教授兼任

リンク等

Academic and professional backgrounds

1983
Graduated from Law Faculty of Tokyo University
1983
Assistant, Law Faculty of Tokyo University (Administrative Law)
1986
Lecturer, Law Faculty of Gakushuin University (Administrative Law)
1988
Assistant Professor, Law Faculty of Gakushuin University (Administrative Law)
1990
Assistant Professor, Law Faculty of Tokyo University (Administrative Law and Intellectual Property Law)
1995
Assistant Professor, Center for Advanced Science and Technology, Tokyo University
1997
Professor, Center for Science and Technology, Tokyo University (Intellectual Property Law)

三村小松法律事務所に所属された経緯は

東京大学の中で先端科学技術研究センターという部局に所属していることもあって、「先見性」ということを最も重視して研究を進めてきました。法学の主な材料は判例なのですが、判例に現れるのは過去の事件です。今年創られた発明が出願され、特許権になり、侵害が見つかり、訴訟になり、判決が出るまで、何年もかかる。どうしても時代の先端からは遅れることになります。時代を先取するような法理論を構築するのに、同僚から最先端の技術動向を学んだり、企業に取材に行ったり、大学から兼業許可を得てコンサル風のことをやってみたりしてきました。今回、三村先生のお誘いに乗ることにしたのも、まだ世間では取り沙汰されていないような法律問題に触れることができるのではないか、というのが基本的な動機です。それは、研究面でも大いに役立つと思っています。

弁護士登録は2013年からなんですね

はい。これも、営業秘密の研究がきっかけです。2012年に新日鐵(当時。のち新日鐵住金、現在は日本製鉄)が韓国POSCOを訴える大きな営業秘密事件がありました。あのような大きなケースでは、米国でディスカヴァリの手続が並行することが多い。そうしたとき、「外部の弁護士にアドヴァイスを求めるために開示した」事項であれば弁護士秘匿特権の対象になりますが、単に取材に来た研究者に話した事項は開示することになります。忌憚のないお話を伺うには、どうしても「弁護士として」聴く必要がある。もちろん弁護士には国家公務員や国立大学法人職員の守秘義務よりはるかに重い守秘義務がありますから、企業の方も話しやすいでしょう。

もともとは研究のためですか
しかし、営業秘密を耳に入れても、公表はできませんね

そうです。もちろん外に出すことはできません。しかし、個々の情報を表に出すことはできなくとも、分析して蒸留した結論は使えます。これまで、世間で報道されている事件のかなりの部分について見聞きしてきました。「なるほど、日本企業はこんな風に営業秘密を盗まれているのか」ということが頭に入っていれば、アドヴァイスはできるわけです。

なるほど
三村小松では、そうした知見も生かされるわけですか

はい。これまでは、個人的に縁故のある会社さんから依頼を受けて個別にアドヴァイスをするということはありました。ただ、大学を通して委託研究の形にすると成果が外に出てしまうので、兼業許可を得て個人的に報酬を受け取り、玉井個人から大学に寄付するといったことをしていました。ただそれだと、どうしても関わり方が間接的になってしまいます。三村小松では、たとえば特許権侵害訴訟の裏面で営業秘密も絡んでいるといったケースでハンズオンの仕事ができると思っています。

玉井研究室は産学連携に力を入れているとのことですが

ええ。東京大学TLOという会社がありますが、あれは東大先端研発の会社で、私が創業者の一人ということになります。実は、「産学連携」というのは、東大先端研が先導してきたんですね。1987年の創立当時に、日本の国立大学では初めて「寄附講座」というものを創ったわけです。そのときは東大の中で「産学共同反対デモ」が起こったくらいの逆風だったのですが、果敢に挑戦したわけです。私が法学部助教授から転任した1996年には、生研(生産技術研究所)と組んで「国際・産学共同研究センター」という組織も立ち上げました。当時はまだ産学技術移転という言葉もなかったのですが、「産学連携のためにはこれが急務だ」と当時の文部省に提案したら、「東大先端研方式」と呼ばれるようになり、「隗より始めよ」で、先端研で会社を作れ、ということになったわけです。設立当初は、会社の正式名称が「株式会社先端科学技術インキュベーションセンター」、略称も「CASTI」で、いかにも先端研(RCAST)発の名前でしたね。

技術移転機関(TLO)の経営にもあたられたわけですか

いえいえ、何もやっていません。東大TLOの経営がうまく行っているというので講演を頼まれたりしたこともあるのですが、「私は創業者ですが、CASTIの経営についてはまったく知りません。私の仕事は、山本貴史社長をスカウトして、すべてをお任せしただけ。大学の教員は研究の能力を買われて教員をやっているわけで、経営の能力があるはずがない。私を含め大学人が誰一人経営に口を出さないのが、うまく行く秘訣です」と常に言っていました。そういうことを言っていると、二度とお声がかからなくなりますね(笑)。

米国での知財紛争や水際規制対策などにも力を入れられているとお聞きしました

はい。二度目の留学が1999年から2000年、米国ワシントンDCでした。そのときに縁あって、米国連邦巡回区控訴裁判所のレーダー判事(のち首席判事)のところにワラジを脱がせてもらい、事件処理のお手伝いをさせてもらいました。

それは、米国の裁判実務に携わったということですか

はい。米国の連邦裁判所では個々の判事にロー・クラークという補助官が数名つくのですが、そのまたお手伝いですね。当時は東京大学が国立大学法人になる前で私の身分も国家公務員でしたから、米国から見れば外国政府の職員。それが秘密の内部情報にもアクセスして事件処理を手伝うわけですから、びっくりしましたね。

具体的には、何をされるのでしょう

米国の連邦裁判所システムでは事実認定をするのは第一審だけで、連邦巡回区控訴裁判所も法律審です。控訴人と被控訴人から出てくる意見書と反論書を読み、先例を調べて、「この事件はこう解決すべきだ」という結論まで出して、メモを作るわけです。それがロー・クラークの仕事なのですが、その下書きということで、結論までつけたメモを作りました。

特許事件について控訴審の結論を出すというのは、たいへんそうですね

はい、たいへんです。ロー・クラークが「玉井さんは経験がないから、最初はトレードの事件にしますね」と言ってくれて、あ、トレードマーク(商標)か、少しは楽だな、と思ったら、トレード違いで国際貿易事件。ダンピング関税の課税要件が問題になったケースで、困りました。ほとんどまる一ヶ月間、その事件のことばかり考えていましたね。

それはたいへんですね

私は行政法専攻なので日本の関税法・関税定率法は知っていたわけです。でも、ようやくパキスタン綿糸の相殺関税が問題になったくらいで、ダンピング関税なんて例がなかったはず。まして、米国の関税法なんて知らない。執行機関も、知的財産権侵害物品の水際規制は国際貿易委員会(ITC)ですが、ダンピング関税は商務省で、その判断を国際貿易裁判所(CIT)がレビューしたものが、連邦巡回区に上がってくるわけです。おかげで、見たことも聞いたこともない米国の込み入った法律を必死で理解したり、山のようにある先例を調べたりするのが、苦でなくなりました。

結果はどうだったのですか

必死で出した結論がレーダー判事の推す意見ということになり、事件処理にあたった合議体で2対1の多数意見になりました。あまり中身についてはお話できないのですが、さすがに日本企業は当事者ではありませんでした。

なるほど
その後も米国法には親しんでおられるわけですね

そうですね。その後の私の論文は、米国の裁判所で身に着けた判例の分析能力を生かしたものが多いですね。日本の学者は米国の学者の論文をよく引くのですが、米国の裁判所は学者の意見というのをあまり重視しない。というより、位置づけとしては、直接の先例がないときに英国やらオーストラリアやらの判例を引くのと同程度の重みしかないと思います。米国法の現状を知るのには、学者の論文を読んでも意味のないことが多いのです。

レーダー氏との交流は続いているわけですか

はい。その後彼は判事から首席判事となりましたが、一貫して国際交流に熱心でした。彼の声がけで、ワシントンDCはもちろん、ミュンヒェン、シアトル、北京、上海、台北といったところに出かけて、講演したことも何度もあります。その後、退官して弁護士になり、The Rader Groupという小規模のブティック・ローファームを立ち上げましたが、私は外国弁護士としてそこにも所属しています。

レーダー氏との交流が三村小松でも生かされるのでしょうか

そうですね。何せ彼は、連邦巡回区控訴裁判所に24年間勤務していたわけです。連邦巡回区は、すべての特許侵害事件、特許商標庁(USPTO)の判断、それに国際貿易委員会(ITC)の判断に対するアピールを専属的に管轄していますから、判例の隅々まで知っています。退官後も、数々の有名な中国企業をクライアントにしているだけでなく、米中貿易摩擦に関しては合衆国政府の意見を中国の要人に伝えに行ったり、幅広く活躍しています。私は国立大学勤務が長く、ずっと国民の税金から給料をもらってきたわけですから、少しは日本のためになることをしたい。彼の知識経験を日本企業のために生かすのが、国益にも適うと思っています。

具体的には、どういうことがありますか

米国との関係では、さきほど申した国際貿易委員会(ITC)がらみのケースがあるかもしれません。裁判所で行われる特許侵害訴訟と比較しても、米国企業は、ITCでの差止めを活発に求めています。もし差止めを受けると米国市場を失うことになりかねないので、日本企業にとっては死活問題です。しかもITCは12ヶ月で結論を出すということになっており、その間にディスカヴァリの手続もあります。いったん訴えられると、ほとんど時間がありません。初動の1ヶ月が勝敗を左右するとも言われており、中には残念な結末に至ったケースもあります。日本企業がむざむざと犠牲にならないような助言ができればと思いますね。

知財戦略というのが必要になりますか

はい。たとえばいま申したITCは、本来米国への不公正な輸入を差し止めるのがその仕事です。しかし、制度を使える「米国企業」というのは、かなり広い概念なのです。たとえばサムスン対アップルという大きなケースがありましたが、中国で組み立てられていればアップルのiPhoneも輸入品です。その輸入の差し止めを、「米国企業」としてのサムスンが求めたわけです。似たようなことは、日本企業でも可能なはずです。日本企業はこれまで知的財産権行使に消極的で、訴えられたときだけアタフタするというのが多かったのですが、経営戦略の一環として知財を使うというようにならないかな、と思っています。そのお手伝いができたらいいですね。

ドイツについての強みをお聞かせください

三村弁護士はドイツ特許法に関するエキスパートですが、私も一度目の留学がドイツでして、現在まで、定期的に講演会や勉強会に参加しています。ドイツの実務家は英語が得意なことが多いのですが、ドイツ法は英米法と違いますし、裁判所に提出する書面や裁判でのやり取りはドイツ語ですから、英語を嚙ませることなくシームレスに理解できるというのは、依頼者にとって有利だろうと思います。 懇意にしている実務家や企業も多いことから、ドイツを足がかりとして、ユーロ圏において幅広い交流を有しております。法解釈としてドイツ法の先例を参考とすることも多く、私と三村弁護士のドイツとの強い繋がりは当事務所の強みであると考えております。

米国と並んでドイツも重要ですか

これをお読みの方はほとんどご存知かと思いますが、EU圏内の特許権侵害訴訟の7割がドイツで提起されると言われています。ドイツ法は日本法に強い影響を与えており、研究面でも重要なのですが、実務面でも極めて重要なわけです。それと、米国の知的財産権侵害訴訟は損害賠償額が極めて高いのに対して差止めは必ずしも容易でないが(だからこそ、差止専門の機関であるITCが脚光を浴びています)、ドイツの訴訟は差止めが容易に出る、という特徴があります。今日では、ノキアがダイムラーをドイツで訴えたところ、それと並行して部品メーカーのコンティネンタルがノキアを米国で訴えるといったケースも起こっています。国際知財戦略の上で、ドイツは極めて重要だと思います。

最後に新事務所での意気込みをお聞かせください

私はもともと研究者で、司法試験にも合格しておらず、司法修習にも行っていないので、普通の弁護士が普通に手がけるような仕事は経験がないし、期待もされないでしょう。ただ、法学というものの性質上、研究と実務というのは切り離せないところがありますから、研究でもあり、実務でもあるというのを手がけていきたい。たとえば最近、知財高裁の髙部判事の部で出た判決を昨年書いた判例評釈で批判したところ(自治研究94巻6号136頁)、最高裁が取り上げて破棄差戻しをするということがありました(最判令和元年8月27日 平成30(行ヒ)69事件)。研究というのは新しいものを付け加えるということですから、実務の面で新たな法理を見出す、裁判所を説得する、定着させるというのは、それと似ています。クリエイティブな法解釈を編み出すことによって日本の企業や日本の経済がよくなるというのを、三村小松の一員として目指したいと思います。